比和山八幡神社の古来の社号は比婆宮(日和宮)
比和山八幡神社(由緒)
以下は郷土資料「比和町史編集委員編 比和の自然と歴史」の内容を管理人の解釈で要約したものである。只今制作途中
- 創建の年代不祥だが,社伝記などにより1千年以上前と考えられている。
- 古来の社号は「日和宮」。1563年の棟札に「日和宮」と記されており,社家古文書には祭神について次のように記してある。分かりやすくするために今風に書いてみた。「国祖神(伊邪那美)の眠る,霊山比婆山は当郡北境追原にある。この神陵を祭るために当社を建立し比婆宮と称したが,日和宮と転訛(発音がなまって変わること)したようだ。だから一番の御祭神は伊邪那美大神なんだよ。」また,”「当社は比婆神陵の清流域2里の地点にあり,古来女神が座します故に相撲を好み給わず」と伝えられている。そのため奉納相撲の行われた例がない。”ともあるという。
- 棟札は永禄6年(1563年)山之内城主藤原通続が社殿を造営した時のもので,「奉造替御社地毘庄恵蘇郡日和宮 大旦那山之内城主藤原通続敬白」とある。
- 日和宮と呼ばれていたものが戦乱の頃,八幡三柱神をまつり日和八幡宮となった。その後,鉄砲や弓等の武術が盛んとなり火矢八幡宮と呼ばれるようになった。この頃から御祭神を八幡三柱の大神とする傾向が強くなった。
- 社家古文書によると,西暦1730年頃は火矢八幡宮,1830年頃は比和八幡宮と呼ばれている。明治3年に比和山八幡神社と改称され,今に至っている。
今も残る歴史を感じる遺物
- 永禄4年建立の石鳥居(1651年)
- 正徳元年(1711年)調進の神輿
- 亨保年間(1716年から1736年)作成の水盤
- 亨保年間(1716年から1736年)作成の石灯籠・石階
正面に見えるのが比和山(右奥が池の段)
井出山のテレビ放送中継局あたりからの眺め
比和山八幡神社の後ろに比婆山御陵がある
参道
正面(八幡神社拝殿)右(大山神社)
拝殿
本殿
金屋子神社
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